さなぎのなかみ

鬱々とした日々のこと。

ちゃんと働いてます

6日ぶりに外に出ると世間は終末を迎えたのかと思った。

そんな希望的観測を余所に只の悪天候なだけであり、外に出るのも本当はたったの2日ぶりなのであった。

 

肌寒くなってきたはずなのに冷房を入れている。暑くて、寒くて。

どうにも寝苦しくていけない。ひと月でベッドの位置が3回も変わった。

 

懐かしい曲を聴きながら眠りに就くと、夢に昔の知人が出てくる。バンドに嵌っていた時期と知人と会っていた時期は合致しないのに、懐かしい、という符号だけで一緒くたにされるあたり、記憶の杜撰さが露わになる。

 

遊んでいる子供はお家へ帰りましょうのアナウンスで起こされる。長さの合っていないカーテンの隙間から光が漏れ出す。鳩の鳴き声がする。

5階でも意外と外の話し声が聞こえてくるものだと知った。バイクが唸りを上げて走り去る。無機物の音はどうにも気にならない。有機物の発する音に苛立ちがやんわりと募る。

 

何をしても意味のないことのように思えてくる。

酸いも甘いもと言うにはあと何十年も生きなければならないが、日常の中で「知っていること」の比率が高くなってきてしまった。正確に言うと、「知らないこと」の中の「知らないけど知りたいこと」が、「興味はないし、特に知りたくもないこと」を下回ってしまった。

知らないほうが楽しめたこと。

 

深夜の公園のゴミの量や、路端で寝ている人たち。客引きや道を訪ねてくる人。そういうものをひっくるめて愛せていたような気がするのに。

 

何かになりたいと願い、夢を叶えた結果、それが思っていたよりも良くなかったら。望みは叶わないんじゃないかと不安を押し殺し来たのに、あの日々は何だったのかと思うくらい、どうでもいいものしか残っていなかったら。

 

自殺という言葉、行動に含まれる甘美な芳香を感じ取ることはもう出来ない。たった数年でこうも変わるものなのか。そこにも希望はあったのに、どこへ行ってしまったのやら。

 

玄関のチャイムが鳴る。宅配便らしい。何も頼んではいない。

〇〇さんですね、と確認された名前に覚えはない。「前の住人ですね……」

会ったこともない会う予定もない、私の人生に無関係な知らない人の名前を覚える。