さなぎのなかみ

鬱々とした日々のこと。

星新一という作家

鏡明『二十世紀から出てきたところだけれども、なんだか似たような気分』を読んだ。内容は、膨大な知識量によるSFについての考察や評論など。その中での一項、星新一についての話。

 ここで著者は、星新一という作家について、語るべきことを持っていない、と書いている。しかし。

 

星新一という作家のもたらすアイディアは、書かれなかった物語のアイディアではないのか、という気がする。

たとえば、一つのアイデアを出し、一つの作品を作ることを、マークシートを埋めていくことと同義だと考えてみる。数多の作家が、一枚の巨大な答案用紙に向かって、こぞって空白を塗り潰していく作業。そのうち、詰まったり、解けない問題というのが出てくる。

塗られなかった空白が、考えられなかったアイデアであり、書かれなかった物語である。

 

つまり星新一は、今後解かれない問題をすでに知っていて、それらをいくつも先回りし解いてしまった。そして亡くなった。あとはできるでしょ?とポツポツ黒点の見えるマークシートを残して。

 

それほど偉大な存在だということ。語るべきことがないなんて、大嘘じゃないか。こんなにも的確に評した賛辞は、そうそうないんじゃないかと思う。