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さなぎのなかみ

思うこと諸々。

ものごとのわかるとき

近藤聡乃エッセイ集『不思議というには地味な話』中の一遍に、こんな逸話が紹介されている。

 

幽体離脱したら、天井の隅にいつの間にか穴が空いていてすいこまれた。中はびっしりと水晶が生えた空洞で、とても心地良い音楽が流れていた。そこをゆっくり回転しながら上昇しつつ、「モーツァルトはこの音楽を楽譜に書き留めたのだ!」と確信した。

 

この話を読んだ時に、似たような経験をしたことがある、とすぐさま思った。普段さして疑問に思わない事柄でも、そうか、そういうことだったのか、と核にあるものを知ってしまうような感覚。これを例に挙げるなら、僕はモーツァルトの音楽の源流に興味は無いし、疑問に思ったこともない。普段頭の隅に上らせることもないのに、ふとした瞬間わかってしまう。

 

ふとした瞬間が何時訪れるかについては、僕の場合は起き抜けの半覚醒時が多い。多いと言っても一年に一回くらいだし、完全に目が覚めるに従って到達したはずの事象は何処へなりと遠退いていってしまうことがほとんど。最初にこの感覚を経験した時は、真理の一端に触れてしまった、などと大仰なことを考えた。錯覚だとわかっているし、およそ論理的な説明などできないのだけれど、自分の中で真理と呼ぶくらいはまぁ許してもらえるだろう。

 

自分のエピソードをひとつ記す。

・セットしておいた目覚まし時計が鳴り、布団から這い出た。体がだるくて満足に眠れなかったよう。目覚ましと対峙して思う、ああ「この目覚まし時計は睡眠を餌に鳴り続けている」。今まさに体中から、僕が本来とるはずだった睡眠を吸い取っている、目覚まし時計に必要なのは乾電池ではなく傍らで眠り続ける存在で、僕とおまえは相互の関係なのか。

 

寝ぼけ眼でいる限り、目覚ましは鳴り止まない。完全に覚醒した時、時計もまた完全に沈黙する。