さなぎのなかみ

鬱々とした日々のこと。

失われた電池を求めて

今、何時だろう、ふと顔を上げてみる。リビングの壁に掛かった大きめの時計、針が指し示す時刻は8時35分。そんな筈はない。ご婦人宅にお邪魔したのは正午過ぎ、未だ2時間も経っていない気がするが。ケータイで確認する。16時。正確な時間が分かってホッとする。

 

電池が切れたまま変えていないのだろう、と思ったのも束の間、玄関からリビングに至るまで、見たところ他に時計は無かったと気付く。針が止まっていることを知らないのだろうか。この家のすべての時間を司っているかのような、位置と大きさであるというのに。

 

東京の真ん中の、マンションの一室で、時間を気にしない生活を送る老婦人。コンクリートのなか、日の出とともに起床し、日の沈みとともに床につく。この空間だけが切り取られているみたいだ。窓を開ければ町の喧騒やネオンの光がちらつくというのに、見えない空気の壁が確かにあるようで。

 

お邪魔しました。そう言って辞去する際に、縁起でもないことを考えてしまった。もしあの時計が、残りの寿命を表していたのだとしたら、などと。ちょっとしたタイムラグ。それとも。迷い込んでしまったか。最期の謁見者としての。あ、扉が閉まってしまう。

 

17時5分。ポケットに手を入れてたしかめる。こちらの時間に干渉するほどの力は無い。