イースターではない、白くて丸い、あの卵
蜂飼耳『空席日誌』より。
この本は、小説とエッセイ、日記を混ぜ合わせたような文から成る一冊。その中に「特別なたまご」という一遍がある。
出先で他者から卵(生)をひとつ、プレゼントされるというお話。
他の著者のエッセイでも何度かそういう出来事を読んだことがあるので、話のネタにはなるくらいには珍しいことなのと同時に、卵をプレゼントしてもおかしなことではないと考えている人も一定の割合でいることがわかる。
目の前に差し出されたら、自分だったら戸惑う。卵……卵? なんで卵? しかも生卵。
見た目はつるつるしてころんとしてキレイ。
贈り物として悪くもなさそう。
冷蔵庫にストックされてる食材のひとつ、割れやすい。
贈り物として向いてなさそう。
卵のイメージをその場で一新してしまうほどの順応性は僕には無いだろう。
ここでの登場人物は、それを贈り物の一つとして、さも当然のように受け取っている。なぜ卵なのか、などと無粋なことは言わない。
段々、「卵のプレゼント」というものの面白さに気付いてくる。考えてもわからないおもしろさ。贈り物としておかしくない見た目と、それを送ろうと考えた人の気持ち。自分の持っている卵に対するイメージ、固定観念。いろいろ混ざって、でも全然わからない。「なんで(笑)」から抜け出せない。何故。なんで。宇宙からの贈り物と相対しているような。あ、宇宙人と仲良くなってお別れのときに卵をプレゼントされたら二重の意味で「え?」ってなりそう。