さなぎのなかみ

鬱々とした日々のこと。

古川日出男『沈黙/アビシニアン』

覚え書き程度。自分なりの解釈。ことばによる世界。

 

「十五年間など、人生とはだれも呼ばない。短すぎるし、若すぎる。あるいは幼すぎるのだろう。でも、生きるのは事実むずかしかった。生き延びるのは。」(p.392)

 生き延びるために、ひとりの少女(エンマ)は、書物をあさる。泣く。学ぶ。十億年が経つ。マイナス・ゼロからのスタート。ここがはじまり。

 

「もしかして、字が、読めないの?」と直截に、訊いてみる。

「そうね」

「まるっきり?」

「わたしのことばに、文字がないの」(p.470)

 エンマは文字を失う。言葉は通じるが、文字が読めない。ことば と 文字 が乖離する。文字という殻が破れ、剥き出しのことばが顕れる。殻はもう身に着けることはできない。ことばだけの存在となる。

 

「いま、わたしはあらたに『わたし』として誕生した。」(p.527)

 今までのわたし、それは文字だ。元わたし。わたしは「わたし」として新生する。それは「わたし」であり「アビシニアン」であり「ことば」である。

 

「だから、いま、世界を亡ぼすことばをいうわ。あなたに口づけしながら。シバ、あなたをもとめながら。

 もとめながら。

 愛してる。愛してる。愛してる」(p.588)

 ラストの締めくくりで囁かれるのは、チープだけどストレートな愛の言葉。この「世界を亡ぼす」という部分、比喩ではない。エンマは、既に文盲となり文字を解さない。エンマの発する言葉は「ことば」であり、世界ができているのも「ことば」によってである。つまりエンマのことばは、世界を構築する部品と同じ素材でできているので、ことばによって世界を崩し、また組み直すことができる。

 

 

 沈黙/アビシニアン (角川文庫)